昔々、あるところに、男の子であった。任天堂WiiのeShopで新しいゲームを探し回っていた。やがてスーパーファミコンで出版したマリオのスーパーピクロスというゲームを見つけた。パズラの好きな男の子は気に入ったけど、日本語は全然分からなかった。ゲームの紹介で英訳の約束を読みながらダウンロードした。でも、ゲームをし始めるとき、英訳は見当たらなかった。
推測や画像からのヒントでパズルのルールが分かるようになった。パズルの1つ目は解けてから、カラフルになってアニメーションが始まった。それも、画像の下にはドット絵のフォントで「ほし」と書かれていた。そのほしはキラキラしていたから言葉の意味は当たり前だった。でも、次のパズルは問題を設定した。
「これなんだよ」と男の子はいった。
解かれたパズルの下には「ペンギン」と書かれていた。でもこの子は読めなくて、画像だけから分からなかった。しかもグーグル翻訳でのカメラ翻訳機能はまだなかった。だから、男の子は五十音順の画像を検索した。ゆっくりゆっくりと仮名をグーグル翻訳に入力できるようになった。
「ペ。ン。ギ。ン。あっ、penguinだ!あぁ、ペンギンみたいだろう…」
このようにパズルを解いた後、アニメーションの下での言葉は理解できた。唯一のアニメーションから分かっても、仮名を五十音順で探して、まじめでグーグル翻訳に入力した。五十音順の仕組みは分かりやすいと思った。だんだん、思わずに、仮名を覚えていることになった。
この子は、同じ年齢の子みたいにアニメが好きだった。バカな夢は心の中に芽吹き始まった。
「字幕なしでアニメを見るようにしてしまおう!」と叫んだ子は日本語学習を始めた。
それはアタシのきっかけです。バカバカしい物語ですね。でも、モチベーションを失うときにこのきっかけを思い出してみます。日本語を勉強しながら、水晶っぽく明るい文法を掘ります。論理的な言語ですね。今、アニメを観たり小説をまで読んだりこのような投稿を書いたりできます。流暢への道は長くても、後ろへ見て、旅行した距離を誇れます。
動機はとても大切ですよね。そして、なぜ自分はこの言語を勉強しているのだろうと思い返すことも。私もいつもなぜ勉強しているのだろうという気持ちを大切にしています。モチベーションに繋がりますから。
バカバカしい物語こそが素敵な物語ですよね。
日本語は非論理的な言語と言われることが多いけど、私も日本語には論理があると感じています。
Humble beginningsみたいでしょうね。日本語を勉強し始めた時のノートを読むのはいつも楽しくて懐かしいです。