毎日、動画やポッドキャスト、新聞などでニュースをフォローするようにしているのですが、今日気になったニュースはユーチューブで大変注目を浴びている、日本における安楽死の現状を報道した動画です。
「死」に関係する内容なので閲覧注意です。
https://www.youtube.com/watch?v=fgX4v0OruO8&list=PLhoNlZaJqDLbA7XMiMv0dWsxl1rtoarUy&index=1
スイスで安楽死をした日本人女性の話に感動しました。どんどん悪化していく難病をかかえる彼女は苦しみから解放されたいという思いもあって死ぬことにしたそうです。その話を聞いてやはり、尊厳を持って死ぬ(英語ではDeath with dignityと言う)願いは尊重されるべきだと思いました。
ただ、この問題に関しては日本は独特な事情を抱えているような気がします。日本では(傾向としては)絶対他人に迷惑をかけたくないという思いが他の国の人と比べて倍に強いと思います。自分は死にたくないとしても、負担になりたくない思いから家族や介護者に気を遣って死を選択してしまう危険性が日本にはあるかも知れません。
このような事情に踏まえ、安楽死制度を導入するにあたり、安易に死を選ばないような対策が必要となるでしょう。
これからは少し個人的な話になりますが、私は4年ほど前から慢性的な体の痛みに患っています。それでも、私は環境に恵まれているおかげで、とても豊かで幸せな生活を送っています。
しかし他の患者もそうだとは限りません。私が痛みに悩まされてから、ネットを通じて様々な患者の話を知ることができました。私より重度な症例が決して少なくなく、回復の見込みがないまままるで地獄のような毎日を送っている人もいます。
そのような苦痛な生き方では死を選ぶのが本人の意志なら認められるべきだし、むしろ安楽死を認めず、苦しみを強いる社会が非人道的だと感じます。
また、逃げたいのに逃げ場がなく苦しんでいる人に対して心が痛みます。
実は人は肉体的な苦しみだけではなく、様々な理由で安楽死を望むでしょう。私の祖父母は二人ともアルツハイマー病に患い、最期にはほとんどの記憶が消え去ってしまい、自分がどこにいるのか、そして周りの人が誰なのか全く分からずに、混乱や不快感を覚えながら亡くなりました。
正直に言うと、もし私がアルツハイマーになったら、そうなる前に安楽死を望むと思います。
この話は宗教や人間の基本的な価値観に関わるので意見が別れますが、私は必ずしも生きていること自体が良いとは思いません。
もちろん「生きる」ことを選ぶ人に対してはどんな障害などがあっても全力で支援するべきだと思うのと同時に、苦しみや難病に耐えられず「死」を選ぶ人の意志を尊重するべきだと思います。
難病など、大きな障害を抱える人々の生活を手厚く支援しながらも、安楽死という選択肢を導入するのは特に日本では簡単なことではないのですが、基本的人権に関わる問題だと思うので、喫緊の課題として検討されることを願っています。
同感です。私の祖母もアルツハイマーで自分の意志も記憶もほとんどなく生きている状態です。パンデミックのあと、自由に会うことも許されません。私は自分の面倒を自分でみられなくなったら、死を選びたいです。たぶん法律が許してくれないんでしょうが...。
@Aki_ ありがとうございます。 アルツハイマーは家族にとってとても辛いですよね。まるで患者の魂が体より先に亡くなったような状態です。私はやはり、記憶が消えてないうちに死にたいと思います。
amop567さんお久しぶりです。「PLAN75」という映画を見て、私は衝撃を受けました。私にとって75歳はそんな遠い未来でないので、考えさせられました。
@roppi ありがとうございます。Plan75は聞いたことがありますが、まだ見ていないのですが、興味深い話題ですね。将来を考えておかないと
@amop567 さんはまだ早いと思いますが。
私は眼科医ですが、目が見えなくなったら生きていても仕方がない。でも自分で死ぬのは嫌だから死なせてくださいと言われたことがあります。自分が嫌なものを他人にさせようとするその気持ちに違和感を覚えました。 家族が、楽にしてやりたいからと医者に依頼するのもとても違和感があります。人に死をもたらすことになる人の気持ちをもう少し慮ってほしいものです。 ドキュメンタリーは一部だけ観ましたが、安楽死という名前の自殺ですね。日本に導入されたら他殺に変換されそうな気がします。杞憂でしょうか。
Mmbeachさん、お久しぶりです。
安楽死は本人が死を選ぶという意味では自殺ですね。1人では楽に死ぬ方法があまりない(というか一人で楽に死ぬのは至難の業と言っていい)ので、家族ではなく本人に安楽死という選択肢を与えるのは極めて理にかなった制度だと思います。(眼科医にそれを頼むのはもちろん論外ですが)
安易に選べないようにする必要もあるかもしれませんが、死を決して軽視しているわけではなく、私たちが想像できるよりはるかに苦しんでいて、悩んでいる人がいるのは揺るぎない真実です。だから一日も早く救済措置が必要と思うのです。
他殺に変換されるというのはいわゆる「すべり坂論法」(slippery slope fallacy) に聞こえてしまいます。少なくても私にとっては信じがたいものです。
本当にお久しぶりです。先日待望の例のサイトが部分的ではありますがリリースされ、久しぶりに懐かしい方々の投稿を目にすることができました。Amopさんはこのことをまだご存知ないかも、でもきっと既にどこかでご活躍だろうと思いこの文章に辿り着きました。
苦しみの中にいる人に救済措置を、というお気持ちはとても理解できます。それが皆(本人はもちろんその手助けをする人)が後悔のないやり方であってほしいと願っています。
ここにリンクを貼るのは反則かなと思うので検索してみてください。
@Mmbeach さん 貴重な情報をありがとうございます!早速チェックしてみます。^^ また別のプラットフォームで会えてとても嬉しく思います。