Japanese
最近、私は自分が他の言語を話すとき、なぜかいつも少し形式的で過剰に丁寧な話し方になってしまうことに気づく。リラックスして話したいと思っても、なかなか自然にできない。まるで無意識のうちに一定の距離を保とうとしているかのようだ。 この傾向は、私の過去と深く関係していると思う。子どもの頃、私は自分の方言、釜山方言(부산 사투리)や話し方の違いを理由にいじめられたことがある。「変だ」「みんなと違う」と言われるたび、私は言葉を発することに慎重になった。いつしか、意識的に話すようになり、より注意深く、コントロールされた、場合によっては中立的な表現を選ぶようになった。 この影響は、他の言語を学ぶときだけでなく、母語を話すときにも現れる。自然に話すことが難しく、言葉の選び方や表現の仕方に常に気を配ってしまう。おそらく丁寧すぎる話し方は私にとって一種の防衛反応、自己保護の手段になっているのだろう。 時々、もっと自由に話せる日が来るのだろうかと自問することがある。しかし、これは私の一部であり、必ずしも悪いことではないのかもしれないと最近は思えるようになった。過去の経験が私を形作った一部であり、それを否定せずに受け入れることも大切だと感じる。
2
私もそう思います。他の言語は分かりませんが、日本語では、思慮深い言葉を使い、丁寧に話すことは必ずしも相手と距離を取ることではないと思います。私はいちばんつきあいの長い親友にいまだに敬体で話してます。もともと同僚として出会ったし、それが自然だと感じるんですよね。
ありがとうございます。丁寧に話すことが距離とは限らないという言葉に、少し救われる思いがしました。親友と敬体で話しているというのも、とても素敵だと思います。自然だと感じられる形が一番なのかもしれませんね。