透明な自分と揺れる世界
Japanese

透明な自分と揺れる世界

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最近、また自分がまるで「透明人間」のように感じることがある。会話に入ろうとしても自然に流れに乗れず、どこかよそよそしく見えてしまう自分に気づく。去年出会った人たちは本当に親切で、私が混ざることを歓迎してくれるのに、それでも心の奥には十代のころに抱えていた孤独や、誰にも気づかれなかった寂しさがふと蘇る。

自分でも分かっている。どこか冷静すぎる、あるいはプロフェッショナルに見えてしまうところがある。人とのつながりは、自然な親しみよりも、事実としての関係に偏りがちだ。努力して表情や声色を柔らかくし、友好的に振る舞おうとしても、結果は期待通りにはならない。まるで、どれだけ歩み寄っても距離が縮まらないような感覚だ。

家族も、気持ちを重くしている一因だ。私は自分の成果で特に認められた経験が少ないが、兄弟姉妹は常に認められ、努力を重ねている。その姿を見ると誇らしくもあり、同時に焦燥感や罪悪感が湧く。「私はまだ追いつけない」「あの人たちの高い階段の上に自分は立てない」と思ってしまう。努力しても届かない心理的な距離──まるで登れない急な段差を前にして立ち尽くしているようだ。

性格も影響しているだろう。穏やかで内向的な私は、目立たず、つい「見えない存在」になってしまう。ここ数年、以前よりも開放的に、フレンドリーに振る舞う努力をしてきた。笑顔を意識し、声のトーンを柔らかくし、会話に少しずつ参加しようとした。それでも、結果は変わらないことが多い。努力と現実のギャップが、心に重くのしかかる。

特に嫌な感覚は、ふとした瞬間に現れる。目を開けた一瞬で、茶色に見えていた建物が灰色に変わり、遠くの声が反響のように遠く聞こえる。世界の彩度が急に失われ、色や温度、音の距離感までもが不自然に変化する。まるで目の中のシャッターが一瞬閉じ、日常が淡く、鈍く、無彩色に覆われてしまうようだ。その瞬間、安心感はなく、世界の中で自分だけが孤立しているかのように感じられる。

それでも、私は心から人とつながろうと努力している。小さな一歩でも、表情や態度、声色を工夫し、友好的に振る舞おうとしている。しかし、透明になった自分、瞬間的に色を失う世界、登れない階段、焦燥感と罪悪感──それらの感覚がいつも先に立ち、成果や努力が霞んでしまうことが多い。

過去の経験、思春期の孤独感、そして現在の自己認識──すべてが重なり合い、私の心に静かで重い影を落とす。今はただ、この感覚と向き合い、少しずつでも折り合いをつけながら前に進むしかないのだろう。

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