どうして日本の映画では時間のことがそんなに大切なのですか。
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どうして日本の映画では時間のことがそんなに大切なのですか。

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最近、日本の映画を二つ見ました。タイトルは「君の名は」と「僕は明日、昨日の君とデートする」でした。その映画を見たら、とても珍しくて面白い点に気づいて、びっくりしました。 (この作文はネタバレを含みます。)

「君の名は」では少年と女子が体を交換して、夢で知り合って、共通点をたくさん見つけます。しかし、本当の人生では会えません。それぞれの人生の間に3年の差があるんですから。全部の話では一つの場面だけで会えました。

「僕は明日」という映画も似ています。プロットは男性と女性が電車で会うことで始まります。二人は知り合って、話しかけて、好きになって、すごく早く付き合うことにしました。お互いを昔から知っているみたいなので、たくさんの共通点を見つけて、食い違いがあまりなくて、幸せに暮らすようになりました。

私は西洋の人として、そのプロットにあまり慣れていません。なぜならアメリカの映画とかで、よく女性も、男性も自分のことを大事にしすぎて、パートナーを本当に愛することができませんから。プロットの山ばに大きなトラブルがあって、どうか人生が変わって、終わりまで幸せになります。でも、その「僕は明日」では初めにも全てOKで、山ばはなんでしょうかなと考えていました。

映画を見続いて、女性は他の時間から来て、男性の世界に30日間しか滞在できないと知るようになりました。本当の山場は、その厳しく限られている短期間に幸せになるという希望を持って、どうしたらいいでしょうかの問題でした。

その深いテーマは西洋のスタイルと違っているのに気付いて、二つの質問を考えるようになりました。

一つ目は、人生はどんなに長くても、問題が全然なくても、時間は全く限っています。ですから、そばにいる人と一緒に過ごせる時間は一番大事だと思います。どうやってそのそばにいる人のために生きられるんですか。

二つ目は、その特別の人に会ったことが、運命ですか、偶然ですか、自分の努力の効果ですか。どうして「この人、もう知っているみたい」という感情が出てきますか。

両方の映画はとても感動的だと思うので、おすすめです。

皆さん、運命の恋人と運命の友達のことについて、どう思いますか。

Headline image by aronvisuals on Unsplash

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