すみません。この投稿はテクニカルになってしまいました。この受け身についてCure Dollyによる動画を見ました。役立ったけど質問はまだあります。
例えば、もともとの文は
1.私はボールをさくらに投げる
でしたら、受動態になれられた文は
2.私にボールがさくらに投げられた。
です。でも、私とさくらの両方は「に」が付きます。混乱を避ける方法はあるかなと思いつつ「受動態 英語」を検索して説明を見ました。あそこでは「によって」をこのように使いました。
3.私によってボールはさくらに投げられた。
ははあと思いました。「よる」は「原因」を指している。だから「よる」はどこかで使えるだろう。
でも、主語を指すために「は」を使うことになるそうです。なぜは分かりません。
Google Docsで試してみました。ちなみにGoogle Docsの文法チェッカはかなり良いです。完璧じゃないけれど、役に立てます。
4.本が読まれる。→ 本は私によって読まれる。
5.さくらは誰かにカバンが盗まれた。→ さくらは誰かによってカバンは盗まれた。
6.さくらが誰かにカバンを盗まれた。→ さくらが誰かによってカバンを盗まれた。
間違いを示す青い下線が見えます。5の矢印の両側にある文章は、正しい文章は「カバンを盗まれた」だそうです。動画は間違いましたか。または、Google Docsの文法チェッカは間違えましたか。
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私は日本語の文法の専門家ではないのでうまく説明できるかどうかわかりませんが、一応それぞれの文章でいちばん自然と思われる言い回しを書いてみますね。たぶん、私が自然と思うパターンはGoogle Docsの文法チェックとあまり変わらないと思います。
受動態の「感覚」は私はけっこう日英で似ていると感じていて、つまり、行為の主体が分からない、あるいは逆に分かりきっている、あるいは問題ではない場合に受動態になります。つまり、投げたのが誰か、ということが強調されない場合にしか使われないので、「私によって」は、文法的には正しくても普段の日本語ではほぼ使われないと思っていいです。たぶん英語でも
は不自然ではないでしょうか?
同様に、「本は私によって読まれる」もほぼ聞かない言い回しです。「私は本を読む」一択ですね。本が「読まれる」という表現は、だいたい一般的な人々が行為の主体であるときにしか使われないような気がします。「90年代に広く読まれた本」みたいな言い方ですね。
最後の例は「さくらは誰かにカバンを盗まれた。」です。これはわりと見る言い回しです。「誰かがさくらのカバンを盗んだ」でもOKですが、行為の主体が「誰か」と曖昧なので、受動態になることが多い、という感じです。
は(or が)
と書いた部分は、パターンとしてどちらもありえます。たしかに、「は」の方が多いと思います。「は」と「が」で微妙にニュアンスが違います。ただこれはほんとに微妙なので、最初のうちはざっくりどっちでもいいと思ってた方が良いように、個人的には思います。
詳しく説明していただいてありがとうございます。
The ball was thrown to Sakura by me.は少し不自然ですが、聞くことがあります。英語では主語を保持しようとしています。例えば、起きた私は
(7) I woke up and was confronted by a wall of text.
と独り言でいいました。では
(8) The ball was thrown by the pitcher, hit by the batter, flew through the air and was caught.
といえます。
行為の主体を強調にする場合には、最後にby meを付けることができます。でも、偉そうな感じがあると思うから、気をつけてください。
しかし「90年代に広く読まれた本」は英訳が完璧に自然です。
(9) A book that was read widely in the 90s
だから果たして問題が英語に慣れた私です。
こちらこそ、ありがとうございます!
Akiさんやエイミーさんの説明で、どうも日英の受動態は私が思ってたより違う部分があるなと感じました。もっと観察してみます!
私やヴィアちゃんなどの間違いを見ると、英語の考え方が分かるようになると思います。この投稿で「受動態になられた文」を書いてみて「a sentence that has been turned into the passive voice」の意味が伝わりたかったです。実は「なれられた」と書きましたが…