今日は自分の母国語である日本語で書いてみようと思います。本当は勉強中の言語で書くつもりだったんですが、ちょっと疲れ気味で書き切る自信がなかったので日本語で書くことにしました。やはり母国語だと、書くのも、読むのも、すべてが本当に楽です!(笑)母国語以外で書いたり読んだりする時は文字通り頭がフル回転している感覚があるのですが、母国語になると頭の一部の機能がオフになったのかと思うくらい楽です。
私は、勉強中の言語で書く・読む時に、気持ち的にどうしても「あと一押し」が必要な時があります。その言語をまだまだ自分のものにできていない証拠かもしれません。以前はそういう時、外国語で書けないなら意味がないと思ってやめてしまっていたんですけれど、せっかく書く気持ちはあるのに勿体無いので日本語で書いてみようと思いました。後日、他の言語に翻訳することにします。ネイティブがとりとめもなく書き連ねた文章は、その言語を勉強中の誰かの役に立つかもしれないですしね。少なくとも私は、ここでネイティブの方が母国語で書いてくれる文章にとても勉強させてもらっているので、まずはちょっとしたお試しとして始めてみます :)
昨日、イタリア語の勉強をしている中で、職業を表す単語をたくさん学びました。自分の身近にある職業を一つ一つイタリア語で言えるだろうかと考えていたら、そのままフワフワと子供の頃の記憶まで遡っていってしまいました。そして思い出したのが、今は見かけなくなってしまった職業のこと。なかでも「子供の頃の思い出」として記憶に残っているのが、ところてん屋さん。
ところてん屋さんはところてんだけを売っていたのか、はたまたお豆腐やその他駄菓子など色々なものを売っていたのか、今となっては記憶が曖昧です。でも子供の頃、不定期で独特のラッパ?笛?を鳴らして車でやってくるおじさんがいたんですよね。あの時の情景をよーく思い出してみると、おぼろげながらところてん屋さんの車の中には他にも色々なものが積まれていた映像が蘇ってきます。
なぜこのところてん屋さんのことを覚えているかというと、おじさんがいつもところてんを突かせてくれていたから。「ところてんを突く」という表現が正しいのかは分かりませんが、確かにこう言っていた記憶があります。英語やスペイン語やイタリア語だと、この「突く」はなんという表現になるのだろう…。この映像がわかりやすいですが、私はこの作業が大好きでした。もちろんところてんは硬くないので力も要らず、本当に簡単なんですが、子供ながらに四角い塊のところてんに先が平面になった木の棒を当てて、しっかり出ていくまで押す、というこの一連の作業で得られる絶妙な感触がすごく楽しかったんですよね。自分で突いたところてんをビニール袋に入れてもらって、家でお酢とお醤油でいただく。今思い出すだけでも無性に食べたくなってきます。質素なのにサッパリしていて喉越しも良く、夏にピッタリです。今でもたまに食べたくなって、スーパーでパック入りのところてんを買ったりします。パック入りのところてんはもうすでに細切りになっていて、それを見るたびにあのところてん屋さんを思い出します。今もやっているんでしょうか、ところてん屋さん。まだ実家に住んでいる時、いつからかあのラッパを聞かなくなったのでもう移動販売はやめてしまったのかもしれません。
その他にも、冬になると近所を回って灯油の販売をしてくれる車もありました。これは地域によって違うのか、灯油を販売する会社によって違うのかわかりませんが、うちに来る灯油屋さんはいつも「北風小僧の寛太郎」を流していました。これを聞くと、冬だ!という気がします。今は電気ストーブになってしまいましたが、当時実家では灯油ストーブを使っていたので、灯油をしっかり補充しないといけません。いつも、あと少しで灯油が無くなりそう!という絶妙なタイミングでこの販売車が来てくれるんですよね。すごい。
寛太郎の音楽が聞こえると、「灯油屋さんだ!」といってストーブから容器を取り出し、家の前に置いておく。そうすると、ゆーっくりと近所を循環している灯油屋さんが、補充をしておいてくれます。今思うと、お金はどうやって払っていたんだろう?私が覚えていないだけで、母親か父親が外で灯油屋さんを待ってお金を渡していたのかもしれません。補充していっぱいになった灯油をストーブの中に入れて、ストーブの電源を入れる。チッチッチッチッという音の後に少し間が空いてから「ボッ」という音が聞こえたら、ストーブがちゃんとついた証拠です。あの「ボッ」の後にふんわりと漂ってくる灯油の匂いがすごく好きでした。灯油ストーブを使う時は定期的に換気が必要だし、気をつけないと火事の原因にもなったりと色々大変ですが、エアコンとも電気ストーブとも違う温かみがあるのですよね。あの部屋の温まり方は、灯油ストーブならではだと思います。エアコンは温風が不快に感じる時もあるし、電気ストーブは部屋全体が温まらないし、たまに無性に灯油ストーブが恋しくなる時があります。この灯油の販売車も、ある時から見かけなくなりました。
職業の名前を覚えるはずが、子供の頃の記憶にゆらゆらと想いを巡らせた日となりました。こう言ってしまうとちょっと陳腐で今更感がある気もしますが、「○○屋さん」という単体の職業がどんどん減っていっていますね。実家の近所にあったお豆腐屋さん、肉屋さん、時計の修理屋さん、手芸屋さん、小さな本屋さん、今ではみんな無くなり、それぞれスーパーマーケットや大型のデパートがすべてを担うようになりました。私が子供の頃からこの状態はすでに進んでいて、個人店は本当に数えるくらいしかありませんでしたし、そういうお店を使っていませんでした。今はさらにその状態が進んで、コーヒーを飲みたければ角を曲がればどこにでもスターバックスがあるし、小腹が空いたらそれこそ角を曲がらなくてもコンビニがあるし…便利なのですけど、個人店ならではの味が、文字通り消えてしまったように思います。そして私は、そもそもそれを味わえた時代に生きていない気がして、少し寂しくなりました。言語を勉強していると他の国の文化も知ることになりますが、国や地域によって状況が同じだったり、逆にまだまだ個人店の方が主流で、コーヒーは誰々がやってるカフェで、肉は肉屋さんで、魚や魚屋さんで、という地域がいっぱいあって、そういう情景や暮らし、そこで話される言語、すべてを肌で感じてみたくなります。色々な国の「今は見かけなくなってしまった○○屋さん」も、ちょっと気になります。
さて、母国語だというのに、とりとめもなく書き連ねていたらゆうに40分は経過してしまいました。この辺にしておきます。外国語で文章を書くのに時間がかかるはずだ…
ではみなさん、よい一日をお過ごしください : )
Headline image by weareambitious on Unsplash
言語学習者が母語で書く日記というのは、その言葉をターゲットにしている人にとってとても役に立つと思います。母語で書くときならではのリズム感やゆるさが参考になりますよね。
私が住んでいた街にも灯油販売の車がやってきていたのですが、大きな団地だったので表にポリタンクを置いておく方式ではなく、音楽が近づいてくるとみんなが集まってきて列を作って灯油を買っていました。音楽を思い出せなかったのでその頃毎回ついてきて音楽に合わせて踊っていた息子に訊いてみたところ、「ぽかぽか楽ちん洗濯物もすぐ乾く」という歌詞だったそうで、オリジナルの音楽だったみたいです。子どもの記憶力は流石ですね。
母国語は読むのも楽! コメントするのも楽!(笑) 北風小僧の寒太郎流してる巡回販売はうっすら記憶があります。焼き芋屋さんはしっかり覚えてるんですが。うちも子供の頃は石油ストーブでした。上にやかんも乗せられるし本当便利でしたよねー懐かしいです。今は小ぶりでおしゃれな石油ストーブたまに見かけますが、うちで使ってたのは大きくどっしりしたやつでした。
個人店がどんどん無くなるのはさみしいですよね。お店だけでなく、我々が使うものもどんどん一元化していって、スマホ一個でいろんなことができてしまうのも個人的にはなんだかなーって思うときもあります。便利は便利なんですけどね。