吊り目のモデルを起用すると差別になる?
差別問題が非常に注目される世の中になりましたね。差別が注目されるようになったおかげで、長く虐げられてきた人たちが迫害から救われるなど、みんなにとって生きやすい社会を実現する一方、「差別」認定することで気に食わない意見を黙らせるなど、ある種の言論統制にもつながったという気がします。
今日は差別問題について考えさせられる記事を目にしました。 記事ははてなブックマークというサイトで見つけたのですが、ユーザーの間では話題になっているようです。 https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2316643
私の理解が正しければ、あるグッチの広告ではアジア人のモデルが吊り目、一重まぶた、頬骨張っているという見た目で、外国から見た東洋人のステレオタイプであることから、その広告がアジア人を見下した差別的な表現だと騒がれているようです。
(まずこの認識を前提にして書きますが、もし間違っていたら申し訳ありません)
私はアジア人ではないせいなのか、これについてどう思ったら良いか分かりません。
確かに、欧米では吊り目のアジア人というステレオタイプは存在すると思うし、吊り目のところを強調し、アジア人をバカにするような漫画、アニメは昔からあったと思います。(ただ今では差別に対する意識が高まったおかげで少なくなったでしょう)
しかし、東アジアには一重で吊り目の人がたくさんいるのも事実です。そして今回話題になったのは漫画ではなく、生身の人間の顔なのです。
もし吊り目であることを差別表現として認定してしまえば、吊り目や一重の人は生まれ持った顔が「差別的」だとして、表舞台から排除されるという全くシュールで皮肉的な状況が生まれるのではないでしょうか。
グッチの広告に登場したアジア人モデルは日本人ではないと思うのですが、上の議論を見たらどう思うのでしょう。
自分の顔なのに、その顔の存在自体が差別を助長していると言われたら悲しくなりませんか。
欧米人はまだまだアジアへのステレオタイプにとらわれすぎているのは本当でしょうし、認識を更新する必要はあると思います。
ただ、それを是正するのに吊り目のモデルの起用を叩くのは違うという気がします。むしろ新たな見た目差別を生みかねません。
日本では二重にするための手術を受けるほど、一重であることに対してコンプレックスを持っている人がいると聞いたことがあります。
いくら差別と戦うためだという正義感に基づいていたとしても、一重などへの批判が、結局一重コンプレックスを悪化させるのではないか心配です。
アジア人じゃない自分が考えを言う立場ではないかもしれませんが、二重でも一重でも、美しく感じられる社会であって欲しいと思います。
日本語を全く修正する箇所がありませんでした・・・完璧だ・・・
私もそのやりとりを読みました。最初に話に上がったのは、ツイッターだと思います。
私としては、それを言い出した人が日本のことしか考えていないように感じました。また、その人が一重の人々に対して差別意識を持っていると思いました。
確かに、日本で起用されるモデルとは異なっていますが、差別だとは思いません。また、世界的に見ると日本人より他のアジア人の方が海外にいる数は多いと思いますので、今回のように騒ぐのは変な気もします。
@mell ありがとうございます。
おっしゃる通りだと思いますね。同じアジアでも多様性があります。
ツィート主は差別を批判しようとしたところ、結果的にまた違う種類の差別意識を表してしまったというのが皮肉的だなと思いました。