積極的自由と消極的自由(2番目のドラフト)
Japanese

積極的自由と消極的自由(2番目のドラフト)

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philosophy
politics

昨日は日本語のチュータと「自由」について話しました。そこで、私の独自の自由の定義を皆さんとシェアしたいと思います。皆さんがアメリカに対して抱く印象としてほぼ全員が最初に思い浮かべる言葉は「自由」じゃないですかね。確かに、アメリカは自由を尊重しているイメージの強い国です。でも私の意見では、これが事実であるかどうかは、自由の定義によると思います。アメリカでは、支配的なイデオロギーは消極的自由に基づいています。消極的自由というのは誰からも個人の自由が邪魔されていないことだと思います。結果的には、コロナウィルスが広まっても、人々はマスクを着用しなく、ブラック企業は労働者を搾取が出来て、環境が汚染されたりするのです。人と企業は政府の制限から自由なので、アメリカは自由な国だと思われています。しかし一方では、このような勝手な振る舞いが他者の自由を邪魔することになってしまいます。搾取から自由、病気から自由、死から自由などのような自由は奪われるのです。ブラック企業の企業主は自由に労働者を搾取しますが、これらの労働者の自由は会社の支配や貧困によって制限されているのです。そこで、私は積極的自由を尊重するほうがいいと思います。積極的自由というのは、皆は個人的な充実感の権利を持っていると思います。皆は協力して、集団を尊重して、環境を保護するのです。皆は、人々を搾取するのではなく、助け合うってくれます。例えば政策に関しては、一般的な健康保険や公団住宅のような政策が実装するべきであると思います。

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