(数学者のオイラーが姫様へ書いた第三通の手紙を日本語にだいたい訳してみました。)
1760年4月26日
音と速度について
速度がそれぞれの程度でどう違うかなどとさっきお姫様に説明いたしましたが、今は音という概念について話したらよろしいと思いますが、そうしましょうかね。まず、音が私たちの耳に達するまで時間がいつもかかり、そしてその時間が音の立った所から離れた距離の次第だと認めましょう。従って、千フィートの遠くまで伝わるには一秒がかかります。
大砲を発射すると、遠くにいる人は火薬の火を見た後で音が聞こえます。例えば大砲から2万4千フィート離れた所には見てから24秒が経った後で聞こえます。稲妻を見た後で雷鳴の聞こえるに時間もかかるとお姫様がきっとお気づきになったでございましょう。その経った時間を使って雷鳴が生み出された所からの距離は幾つかと分かります。稲妻を見てから雷鳴が聞こえるまでに20秒が経ったら、私たちから2万フィート離れた所に雷鳴が起こったと結論できます、1秒千フィートを数えたらね。
この素晴らしい特性がこの次の質問などを提起します:音は一体何でございますか? 音の物性は匂いと似ていますか? 音は、花が空気中に自分の香りを放ち嗅覚を刺激するごとく、鳴ったものから広がりますか? 古代にはこの観念を持っても構わなかったでございましょうが、今は鐘を鳴らすと分離され 耳まで運ばれるものが何もないと私たちが随分確信しています。つまり、音を立てるものが何の物質を失わないのでございます。鳴った鐘や弾かれた弦などを眺めるだけで、そのものが震動している状態で全部震えているとすっかり気づくでございましょうね。それでそのように全部震えやすいものが音を発生させます。
私が実際に起こるよりもよく鮮明に描いている図(※)には、細すぎないならACBと表現した弦がAMBの姿勢とANBの姿勢の間繰り返しに動き、発生した震動が見えます。そのあとで、その震動は近くの空気を同じように震えさせ、相次いでよりも遠い空気の部分までに伝わり、ついに私たちの聴覚器官を打ちます。なので、空気はやはりその震動を受け、私たちの耳まで音を運ぶということでございますよね。
(次の部分はここにあります。)
※ 私が読んだ本にはオイラーの描いた図がなかった。
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