ヴィーガンであり続ける理由 (二つ目の下書き)
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ヴィーガンであり続ける理由 (二つ目の下書き)

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今日は、ヴィーガンであり続ける理由を話したいと思います。正直なところ、通常、ヴィーガンじゃない人々とヴィーガニズムについて話すのは苦手です。多くの人は、よく「ヴィーガン」と聞くと攻撃的なイメージを持つと思います。確かに、動物愛護の活動家はたまに押しが強いけれども、善意のために行っています。

最初は、私は「ヴィーガン」というより菜食主義者でした。食肉や卵、魚介類、乳製品を食べませんでしたが、食事以外のことには注目していませんでした。ヴィーガンになったきっかけはより健康的な食べ物を食べるようにしたことでした。当時、動物福祉については考えようとしていなかったのです。そのままで過ごしていたら、結局、 また肉を食べ始めていたと思います。菜食は確かに健康的だけれども、たまに肉や魚介類などの食べ物を食べるのは健康に悪くないのです。さらに、健康そのものだけでは長期的にやる気を継続させるには足りないと思います。

菜食主義者として二ヶ月ぐらい経ったころから、ヴィーガニズムについての映画を見って、畜産動物の現状について知ってしまいました。この映画は菜食の健康への恩恵についての話だと思っていましたが、後半は工場式畜産の事情が描いていました。畜産動物の世界は本当に地獄のようです。この惨い光景が記憶に焼き付けられました。それ以来動物愛護に軸を置いています。人道的な畜産に関して、動物の殺しは必要ないなら、殺すべきではないと思います。たとえ優しく育んでも、痛みを伴わずに殺しても、意識を持っている生き物の命を不要に奪うことは、それはただ残酷なだけです

しばしば「どうして、動物が殺されないのに、乳製品や卵や羊毛などの商品を買わない?」と聞かれます。実は、これらの畜産動物は残酷に扱って、そして、利益がもはや絞れなかったら、結局、殺されるのです。でも、それではなかったとしても、畜産をに反対します。人間と人間じゃない動物を搾取することは基本的に非道徳的だと思います。私達は皆、自主性への権利を持っているのです。全ての生き物のために世界の改良を協力するべきだと思います。蚊除いて...

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