「冬の巨人」の感想(最後の下書き)
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「冬の巨人」の感想(最後の下書き)

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皆さん、こんにちは!今日は「冬の巨人」というラノベについて話したいと思います。まだこの本の半分の所までしか読んでいないのですが、今の所すごく面白いです。「冬の巨人」の舞台は、巨人の体に生息している社会です。この巨人は果てしない雪原で歩いています。社会は「内市街」と「外市街」に仕切られていて、内市民が快適な環境に住んでおり、逆に外市民は冬の厳しさと共に暮らしています。主人公は神学院の教授の助手として働いている少年オーリャです。オーリャは外市民で、教授と一緒に社会を背負ている巨人「ミール」を研究しています。この社会の住人は、「ミール」の力が無限大だという印象を持ています。ですが、「終末党」という集団は「ミールは老いていて、そのうちに身体が倒れる。終末のために用意しなさい」と伝えます。

小説の内容から色々なテーマがはっきり読み取ると思います。一つ目は「階級」です。オーリャは内市街に住んでいる少女ジェーニャに会い、彼らは一緒にジェーニャの家に行きます。着いた時、オーリャは内市街と外市街の格差に気が付きます。彼女の家は派手なバラ園で囲まれていて暖かいのに対し、オーリャの家は料理で使う程燃料さえなく、凍死しない程度の暖房しか使えません。ある男がオーリャを見送って、そして「身分をわきまえなさい」と言います。オーリャ達とジェーニャ達は同じ人間同士なのに、運命が違います。生まれた場所によって、人生が違うのです。現実の世界には、そんな具体的な仕切りは無くても、生まれた事情がすごく大事になります。例えば、搾取されている国に生まれれば、貧しい人生から抜け出せる可能性は低いです。でも、豊かな家に生まれたなら、きっと高貴な人生のまま死ぬ日まで過ごせます。

二つ目のテーマは環境問題です。老いているミールは生態系の比喩だと思います。この世界では、ミールは唯一の可住地で、人間はミールの身体から燃料を採掘するせいで、ミールは徐々に弱っているそうです。ジェーニャの家に行く途中、オーリャは採掘のせいで荒れた土地を見て、「内市街の周りは蝕まれたみたい。」と考えます。人口を増やしすぎたせいで資源が減っていると教わったけれど、外市民は最小限の必需品で生きていて、内市民は贅沢な人生のために莫大な資源を消費しているのがはっきり分かります。この関係は現実の世界もあります。環境破壊は多すぎる人口のせいだとよく言われていますが、アメリカのような裕福な国が殆どの資源を消費していて、上位10%裕福な人々は50%温室ガスを排出するのです。「人口過多」というのは貧民に対して不当な責め方だと思います。実際に、地球は十分に生活していける程の資源があります。「冬の巨人」の社会のように、飢餓や動物絶滅や環境破壊などの問題は現在の経済体制のせいで起こることす。このような問題に注目しなければ、地球と人間と他の生き物は後先考えず搾取されます。

そういっても、まだ私はこの本の残りの半分を読んでいないので、この著者の意図した意味がまだ分かりません。そしてこれは個人的な考えです。「冬の巨人」の世界は興味深いので、是非一度読んでみてください。それではよろしくお願いします!

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