MCUスパイダーマン映画への感想
Japanese

MCUスパイダーマン映画への感想

by

cinema
politics

正直にいうと、私はあまりマーベル映画のファンではなく、むしろ彼氏のために彼が好きなスパイダーマン映画を見たんです。単なるエンターテインメントとして見ると、MCUスパイダーマン映画が考えず楽しめたんです。ただ、これらの根底にあるテーマを考えると、違和感を感じてきたんです。

もともと、スパイダーマンの基本的な話は一般人の日常闘争だと思います。ピーター・パーカーは一生懸命、自分自身と叔母さんを支えてみている貧しい人であり、悪人を戦う中、新聞社で写真家として働いてつつ、貧困は引き続き問題になっているのです。こういう話は現実的で、一般人の経験に訴えてきていると思います。

逆に、MCUスパイダーマンを比べてみると、こういう風な一般人の困難が省略されてきて、そして、代わりに保守主義のようなテーマが挿入されてきたのです。ご説明させていただきます。まず第一の理由は、ベン叔父さんの代わりとして、億万長者、トニ・スタークがピーター・パーカーの師匠になりました。パーカーからみると、トニ・スタークは理想的な男性で、彼のような男になりたがっているのです。ただ、トニ・スタークの倫理に反する行為が検討されていません。根本的には、トニ・スタークは目線が上から普通の人間をみるようです。彼の無茶苦茶財力を一旦に置いて、国際法律は関係なく、彼は勝手に行動しています。国境を無視したり、違法的に敵を処刑を行ったり、大衆監視のシステムを開発したりしたのです。どのような価値観が伝われってきますか?これらのテーマがどういうふうに捉えてきているのですか? これは偉人論だと思います。トニ・スタークはすごく偉い人なので、彼は人類の指導者として自由に行動ができることなのです。しかも、彼のすごい財力は正当化されています。彼は天才だし、英雄であるし、この世界では、彼の立場は正しいです。

でも、こういう世界はただの妄想しかないと思います。現実な世界では、億万長者と他の偉い人はそういう風に慈悲深くはないのです。実は、ほぼ全員はただの自分の財力と権力を増加するために行動しているだけです。でも、たとえ慈悲深い人がいても私はこういう貧富の格差のある世界を反対するので、MCUスパイダーマン映画の言外の意味が好きではありません。

2